猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

クイックルワイパーでABAする

ABA(応用行動分析)的に考えて自分のQOLを上げようのコーナー。

ABAでは、望ましい行動を起こりやすくするには結果事象を操作するだけでなく、先行条件を整えることも大事だと言われています。先行条件の操作の一つに「望ましい行動の反応努力を減らす」ということがあります。

反応努力というのは、行動を起こすのに必要とする労力や時間などのことです。例えば、「ジムに行く」という行動を考えた際に、ジムが隣町にあるのと、家から徒歩1分のところにあるのでは、後者の方が反応努力が低く、行動が起きやすい先行条件であると言えます。

私は、クイックルワイパーで家を掃除することが多いのですが、「掃除する」という行動を起きやすくするために次のようなことをしています。

「掃除を終えてシートを捨てる際に、新しいシートをセットしておく。」

これだけです。

「掃除をする」という行動を起こそうと思った際に、すぐに掃除を開始できるのが大切で、そこに面倒くさいプロセスをはさむと、実際に掃除をするという行動に至る前に、掃除をしようという気持ちがなくなってしまうことが多いです。(私の場合)

掃除を終えた際なら、シートを捨てた流れでそのまま新しいシートをつけかえるので面倒でないですし、こうして置くといつでも掃除を開始できるので掃除をこまめにするようになります。ベースラインと介入期に分けてデータを取ったわけではないので、実際には分からないですが、体感的にはそうじをこまめにするようになりました。

掃除を面倒臭がってついついサボりがちになってしまう方は試してみると良いのではないでしょうか。(ただ、ウェットシートはこの方法だと使えませんが・・・)

行動変容法入門

行動変容法入門

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単一事例研究法の一般化について

※自分の中でも全然整理されていないのですが、そのままアップします。

単一事例による研究の結果をどの程度一般化した結果として解釈して良いかについて考えている。例えば、ある指導法Aの効果が知りたくて、タロウさんを対象にデータをとるとする。ここで、得られた指導法Aの効果は、別の対象者のハナコさんに対しても同様に効果的だと言ってよいのか。もっと一般化した話として、「指導法Aは〇〇な効果がある」と言ってしまってよいのか。とか、そんな話である。

野呂(2009:p.101-102)には、リプリケーションについての説明に続いて、次のように書かれている。

単一事例研究法を用いて、特定の対象者において介入条件の効果が実証できたとしても、その結果を他の対象者へと一般化できる保障はない。そのために、このリプリケーションのプロセスが必要となる。このリプリケーションの結果、複数人数の対象者においても同様の結果が得られたとすれば、介入条件(独立変数)と標的行動(従属変数)との間の関数関係の証明はより強固なものになる。

単一事例はあくまで事例の一つであるということで、複数人で同じような結果が得られるまでは一般化された効果として言うことはできないらしい。

複数人で似たような介入の結果を得られた場合は話が単純で良いのだが、複数人で結果が異なる場合には話がややこしくなる。指導法Aがタロウさんには有効だったが、ハナコさんには有効でなかった場合だ。

こうした場合の対応について、野呂(2009:102)には次のように書かれている。

同じ結果が得られない対象者がいた場合にはどうするのか。そのときには、その対象者において効果が示されるような介入条件を継続的に実証していく必要がある。ただし、このことは最初の研究で示された結果を単純に否定するものであるとは限らない。むしろ、最初の研究で得られた知見を拡張する役割を果たすと考えてよい。

同様の結果が得られるまで、介入条件(独立変数)を変えてみて、効果(従属変数)を探るようである。

野呂は次のような仮想データでそのことを説明している。

自傷行動を示すA君とB君に対してある指導法を用いてそれが減少するかに検証した。そこで、Aくんは指導開始後に自傷行動が減少したが、B君は指導を開始しても自傷行動が減少しないという結果が得られた。B君においても自傷行為が減少する環境条件を探った結果、十分な睡眠という条件が整えば、Bくんにも指導法の効果があることが明らかになった。こうして、十分な睡眠が確保された上で指導法を用いることが、自傷行為の減少に効果があるという結論が得られたこととなる。

自傷行為の生起頻度を従属変数yとして、指導法の有無を独立変数x1、十分な睡眠の有無を独立変数x2とすると、2要因それぞれ2水準の実験計画として表現できる。上の例では、1要因による従属変数の説明が上手くいかなかったので、従属変数をより上手く説明するために、要因数を増やすことが行われている。1要因のときには誤差として表されてしまうものを、独立変数の要因数を増やすことで、誤差でないものとして扱おうとしているのである。

ここで、「十分な睡眠が得られており指導法を用いた」が自傷行動が減らなかったC君が出てきたとする。その際には、どう対応するべきだろうか。話の流れからすれば、指導法の効果が得られる環境要因を探ること、つまり独立変数の要因数を増やすこと(例えば、満腹かどうか)で従属変数を説明するのだろう。だが、こうした手続きをとっていくと、研究を重ねれば重ねるほど、独立変数の要因数が増えて、結果の解釈が難しくなっていくのではないかとも思う。

交互作用のことを考えると、「指導法の効果が睡眠条件によって異なる」「指導法の効果が満腹感によって異なる」という1次の交互作用に加えて、「指導法の効果が睡眠条件によって異なる異なり方が満腹感によって異なる」「指導法の効果が満腹感によって異なる異なり方が睡眠条件によって異なる」といったように2次の交互作用のことを考えなければいけなくなる。

要因数が増えたら、より高次の交互作用のことを考えなければならないが、そうなった場合の解釈はとても複雑である。

単一事例研究のメタ分析などが、ここらへんの問題をどう処理しているのかがとても気になった。

【参考】
野呂文行(2009). 単一事例研究法  前川久男・園山繁樹 (編著)障害科学の研究法(pp.89-115) 明石書店

物理的構造化と活動の遂行

ここのところの物理的構造化について考える機会が多い。

以前は、活動の意味理解みたいな点が物理的構造化の肝だと考えていた。つまり、ASDの人にとって「ここは〇〇をやる場所なんだ」というのが理解できるようにすれば良いと思っていた。

しかし、意味が理解できれば活動が遂行できるかというと、最近はそうでもないというような気がしている。ASDの人が「ああ、〇〇やればいいのね」と思った次の瞬間に「ん?あれはなんだ。気になるぞ」と思って、理解された意味があっというまに消えてなくなってしまうようなことはよくあることだからだ。とりわけ、機能的に低いASDの人ほどこういった傾向は強いと思う。

期待する活動の理解を促すために場所と活動を1対1で対応させるというのは基本的なことだが、それに加えて、その活動にとって不要な刺激を無くすというのも同様に大切だということを実感している。

『TEACCHハンドブック』(学研)には、「能力の高くない子どもには、高度(厳密)な構造化が必要である。そのために、多くのついたて、仕切り、色分けしたカーペットなどを用いる。(p.103)」と書いてある。「高度(厳密)な構造化」を行なう際には、刺激の管理というのは検討しなければいけない重要な要素の一つだろう。





【関連】
nekomosyakushimo.hatenablog.com

プログレス・モニタリングの妥当性の検証について

海津先生の書いた次の論文を読んでいる。

海津 亜希子(2016). 算数につまずく可能性のある児童の早期把握 ― MIM-PM算数版の開発 ― 教育心理学研究,64, 244-255.
算数につまずく可能性のある児童の早期把握


「算数版のMIM-PMを作って、その妥当性と独自性を確かめたよ」って論文。PMというのはプログレス・モニタリングの略で、1回だけのアセスメントで子どもの学習状況を把握するのでなく、継続して子どもの学習状況を追跡することで、子どもの伸びや習得の状況を把握するアセスメントである。そこでは、子どもの個人間差だけでなく、子どもの個人内差についての情報も得ることができる。こうしたプログレス・モニタリングはRTIを基にした指導を行なう上で必須な役割を担っている、と指摘されている(p.241)。

さて、このプログレス・モデリングの妥当性の検討のために、どのような議論がなされているかを見ていくと、論文中では以下の4点が妥当性を検証するための証拠として挙げられている(p.244)。

  1. 時間的経過に伴い得点の上昇を示すのか
  2. 算数の基礎的な能力をみるものとして適切であるのか
  3. 年度初めの結果が年度末の結果を予測できるのか
  4. この研究での知見はより広範な場において通用するのか

そして、それぞれのについて、次のデータを用いて検討している。

  1. 実施回を独立変数、点数を従属変数として対応ありの分散分析を行なう
  2. 標準化されている学力検査算数(CRT-II)とMIM-PM算数版の相関分析を行なう
  3. MIM-PMの年度初めの結果と年度末の結果の相関係数を算出する
  4. 実施回ごとにクロンバックのαによる内的整合性の検討を行なう

それぞれの結果を細かく見ていくと大変なので書かないが(気が向いたら書くけど)、おおむねどのデータについても有意な結果が得られ、MIM-PM妥当性が明らかになったとされている。


ResearchQuestionが明示的に示されている論文はとても読みやすいのでお手本にするべきだなぁと思いました。

冬用のバイクグローブを買ってみた

以前、原付に乗っていた時は、コミネの安いハンドルカバーに適当な手袋で冬は何も困りませんでした。セローに乗り換えてからはハンドルカバーをつけるのが嫌だというのもあり、冬用のグローブが重要だなぁと感じていました。

で、夏用と同じようにバイク用品店で適当に選んでみました。

ラフアンドロード(ROUGH&ROAD) バイクグローブ アクティブウインターグローブ ライム L RR8641

ラフアンドロードの「アクティブウィンターグローブ」というものです。夏用も同じメーカーでしたけど特に贔屓にしているという訳ではなく、手頃な値段だったというのが一番の理由です。

使ってみての感想です。まず、防寒性についてですが、中に綿が入っているのでそこそこ暖かいです。でも「そこそこ」であって、指先とかは微妙に寒い気がします。

次に、防風性ですが、街でゆったりと乗る分にはとりあえず風を遮ってくれるので満足です。ただ、高速道路や幹線道路でスピード出した時にどの程度風を遮ってくれるのかは、試していないのでちょっとよく分かりません。そんなスピード出して走ることはほぼないので、私にとっては不要な機能なのですが。

防水性については、これも雨の日に1度しか乗っていないので何とも言えませんが、そこそこ強い雨で20分程度乗る分には全く問題ありませんでした。

操作性については、中の綿が邪魔して夏用のものに比べると当然ですが操作しづらいです。これは他のグローブと比較した訳ではないですが、防風・防水・保温のすべての機能を1つのグローブでまかなう以上は仕方のない問題なのかなぁと思います。例えば、ネオプレン素材のハンドルカバーやオーバーグローブ的なものとかに防風・防水の機能を任せ、インナーのグローブには保温のみの機能を持たせるなど考えれば、操作性の問題は解決するのかもしれません。

結論として買ってよかったのかというと「まぁ良かったのかなぁ」という微妙なところです。値段以上のいい買い物をしたという気はしませんし、かといって、騙されたという気もしませんし、とりあえずこんなものかというのが感想です。

冬用の可もなく不可もないグローブが欲しければ、手を出してみると良いかもしれません。

テストの妥当性とか

togetter.com

togetter.com

ネット上の議論を見て思ったことを自分の関心に結びつけ我田引水的に書いてみようのコーナー。

議論の概要をざっくりと書くと、鶴亀算を習ったあとの算数のテストで、連立方程式を使って答えを出したら✕がつけられたことから議論が始まっています。その後、テストにおいて式の部分にどの程度の途中式を書けば◯なのかなどにまで議論が及んでいます。

最初の議論では、とある高校教師Sさんは「鶴亀算を教えた際の問題演習」なので、鶴亀算以外の解法は✕にすべきと主張しており、積分定数さんは、解法についての指定がないのであれば◯にすべきだと主張しています。議論の進行を見ているとお互いの主張が平行線のまま噛み合っていない印象があります。

わたしは、算数教育についても算数の評価法についても全くの門外漢なのですが、教育評価や心理測定を学んでいる立場から思ったことを書きます。

今回の議論が(やや不毛で)噛み合わないものになっている原因は、テストの構成概念(construct)と妥当性(validity)についての認識がズレているからだと思います。

構成概念とは、テストが測ろうとしているもので、通常直接観察できないものです。例えば、漢字力や英語力のようなものが構成概念です。こうしたものを測定しようとしたときに、それらは直接目に見えないので、私たちはテストを使ってそれを測る訳です。

妥当性とは、テストが測りたいもの(つまり構成概念)を正しく測れているかどうかです。例えば、漢字の書きの力を測りたいのに、漢字の読みの問題だけで構成されているテストを実施したとすると、そのテストは測りたいもの(漢字の書きの力)を測れていないので、妥当性が低いということになります。

しかし、ここで測りたいものが漢字の読みの力だったとすれば、そのテストは妥当性が高いということになります。テストに妥当性があるかどうかというのは、テスト単体では決まらずテストを使用する状況や文脈に左右されるということです。

さて、これらのことを念頭に置いて、今回の議論について考えてみます。

とある高校教師Sさんは、このテスト・問題を使って鶴亀算の解法を理解しているか」を測りたいと思っています。それに対して、積分定数さんは、このテスト・問題からは「(どの解法を使うかは自由で)正しい答えにたどり着けるか」しか測れないと主張しています。つまり、積分定数さんは高校教師Sさんのテストの用法の妥当性の低さを指摘しているわけです。

とある高校教師Sさんが測りたいと思っている「鶴亀算の解法の理解」を測るのに、この問題が妥当かということですが、これについてはあまり妥当でないと私も思います。というのも、積分定数さんが言うように、解法を限定する注意書きがない限り鶴亀算以外の解法を使って答をだすことができるので、もし「鶴亀算の解法の理解」を測りたいのであれば、問題の形式を変えたり、問題に解法を限定する但し書きをつける等の改変が必要になると思います。

妥当性が低いということは、測りたいものが測れないということです。例えば、連立方程式で解いた答を仮に◯とつけた場合には、その児童生徒が「鶴亀算の解法を理解」しているかについての情報を得ることはできません。連立方程式での解法を知っていることは、鶴亀算の解法を知っていることを保証しないからです。逆に、✕とつけた場合でも同じで、その児童生徒が「鶴亀算の解法を理解」しているかについての情報を得ることができません。

もし、「鶴亀算の解法の理解」を測りたいのであれば、このテストを妥当性が高いものに変える必要があります。例えば、鶴亀算の途中式の空所補充というような形にするなどです。こうすることで、特定の解法を使って答を出す必然性が生まれ、鶴亀算の解法を理解しているにも関わらず✕をつけられてしまう不幸な例がなくなると思います。

結局、その後にとある高校教師Sさんが以下のツイートで言っているとおりで、テストの妥当性の低さに話が集約されるのだと思います。



ちなみに、鶴亀算が何なのか分からず今回ググって理解しましたが、これって小学校のときにみんなやるものなんでしょうか。わたしの記憶に一切ないのは何故・・・

テストの科学―試験にかかわるすべての人に

テストの科学―試験にかかわるすべての人に

小島寛之『完全独習 統計学入門』

完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門

昔にも一度読んだ本だが、統計的なことに片足を突っ込まなければならない仕事があったので読み直した。

統計の勉強というのは、どうも「一度ですっきりと理解できた」とならず、なんとなく理解が深まったような気がしつつ、よく分からない部分が残ったままの気もしつつを繰り返して進んでいくのかもしれない。(私の場合は)

統計関係の入門本は何冊も読んでいるが、一度ですべてが咀嚼できることは少なくて、時間が経ってから読み直してみると驚くほどすんなり理解できたりもする。

この本の再読もそういう類のもので、特に著者が前書きで書くように「標準偏差」や「区間推定」の考え方をかなり丁寧に説明しており、その部分に関してはかなり理解が深まった気がする。

丁寧に書かれており、かつ初学者の心を折る数式がほとんど出てこないので、統計を学ぶ際に、一番最初に読む本としてもオススメできるけど、簡単な入門書を何冊か読んだ後に読むのも理解が深まるので良いと思う。

ちなみに、出てくるデータをエクセルなりRなりでガチャガチャ操作しながら読むと、色々数字をいじった際にどんな変化が起きるかとかが確認できて一層良いと思う。(例えば、信頼区間の%の水準を変えてみて区間がどのように変化するかなど)