猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

黒沢香・村松励『非行・犯罪・裁判』

非行・犯罪・裁判 (キーワード心理学シリーズ)

非行・犯罪・裁判 (キーワード心理学シリーズ)

心理学の応用領域は多数あるが、司法分野でどのように応用されているか知りたくて読んだ。

特に、法との関連において自分が知らないことだらけなので勉強になることが多かった。また、内容がコンパクトにまとまっており、書き方もやわらかいのでそんなに時間を要さず読めた。

しかし、箇所によっては説明は簡素すぎて、よく分からない概念をよく分からないままに読み進めなければならなかった。大学の講義とかのテキスト的な位置付けなのだろうが、自学自習にはもう少し詳しい解説がある本のほうが良かったように思う。

本全体の内容とはあまり関係ないが、刑罰の効果について解説している項で、以下の学習心理学についての記述はやや誤解を招くのではないかと思った。

それでは、こういう罰により、犯罪が起こらないようにできるのでしょうか。残念ながら、刑罰に功利的な効果は期待できないようです。(中略)スキナーの条件づけを思い出してください。正しい条件づけにはの概念がありません。もし強化したくない反応を行ったら、単純にその行動を強化しないだけでよいのです。しだいに、その反応は見られなくなっていきます。その文脈から見て、動物(の強化や消去)に刑罰の心理学はありえないということが分かると思います。(p.135)

著者の「正しい条件づけ」というのが何を指しているかは不明だが、おそらく行動分析学的の知見を現実問題の解決のために用いるぐらいの意味だろうか。その意味だったとしても、罰(弱化)の概念がない訳ではない

応用行動分析において罰(弱化)を用いたアプローチが避けられるのは、罰(弱化)によって行動の生起頻度は減るがそれには副作用(攻撃行動や他の情動的な問題など)が伴うからだ。副作用の問題を考慮した上で罰(弱化)が行動変容のオプションになることは十分にありうることである。

また、ここで問題となっている犯罪行為で、その強化子は制御可能なのかということも気になる。本には「単純にその行動を強化しないだけでよい」といわゆる「消去」の手続きを適用することが書いてある。しかし、例えば、窃盗のような犯罪を行う人を考えてみると、その人は窃盗を行うことで、欲しい品物が手に入ったり、スリルを得たり(正の強化)することになるのだが、これらの強化子は犯罪行為に自然と随伴してるものである。消去の手続きが適用可能なのは、強化子を撤去可能なときだけある。犯罪行為に随伴するこれらの強化子が、どのようにしたら撤去できるのか私にはその案が思い浮かばない。

刑罰の功利性についてはよく知らないので何とも言えないのだが、その議論に対してこの行動分析の理論の用い方はやや危ないのではないかと感じた。

集団随伴性について

仕事の都合で集団随伴性について調べ物をした。

個人ではなく、集団でのパフォーマンスについて強化が随伴することを集団随伴性と呼ぶ。

ベイリーとバーチの『行動分析的"思考法"入門』には、集団随伴性が良い行動・良くない行動のどちらも産み出すことが紹介されている。集団随伴性が産み出す良い行動の例としては、集団のメンバーが他のメンバーを励ましたり、協力的になったりすることが挙げられている。よくない行動の例としては、集団のメンバーに対して、「もっと一生懸命やれ!」などのように威圧的に関わるようになったりすることが挙げられている。

メンバーを励ますなど、集団随伴性の良い側面に注目すると、個人での活動の際にはない強化が起きることになる。こうした強化のことを社会的強化と呼ぶそうである。社会的強化が起きやすくなる環境を整えることが、集団随伴性を用いる際に考えなければいけないことの一つだろう。

特別支援教育の文脈だと通常学級のような場面では、集団随伴性によるアプローチが求められることがある。そうした際に、個人に適応される強化、弱化の原理だけだとうまくいかないことが予測されるので、集団随伴性を利用した先行研究の注意点をよくよく精査して、実施しようとしている集団において適当な社会的強化が起きる環境を整えたうえで実施するべきであろう。


ベイリーとバーチの本についての記事】
nekomosyakushimo.hatenablog.com

阿部利彦『通常学級のユニバーサルデザインスタートダッシュ Q&A55』

通常学級のユニバーサルデザイン スタートダッシュ Q&A55

通常学級のユニバーサルデザイン スタートダッシュ Q&A55

授業UD系の本に少しずつだが入門している。編著者は授業UD関係だとよく名前を聞く阿部利彦先生(星槎大学)。教育のUDについて55のQ&A形式で解説している。

この本では、教育のユニバーサルデザインを、「授業のUD化」「人的環境のUD化」「教室環境のUD化」を3つで構成されるものとして定義している。小貫・桂による『授業のユニバーサルデザイン入門』(東洋館出版)よりも、教育におけるUDというものを広い視点から整理しなおしている。(もちろん重複している部分もある)

読んでいて受けた印象として、授業UDが「学校の先生たちにとってのリアリティ」というのを重視しているのだと思った。本書では授業UDにとって大切な工夫として「ひきつける」「方向づける」「むすびつける」「そろえる」「わかったと実感させる」という概念が登場する。概念の定義があいまいな気がしていて、これらの言葉の意味するところが正直なところ私にはしっくりきていない。これらの概念が提案された経緯は次のように書いてある。

「わかる」「できる」授業をしたい。でも実際は、一時間の授業をどう展開すればよいのだろう。どのタイミングで「視覚化」「焦点化」「共有化」を意識すれば良いのだろう。
 このような悩みがある先生は、意外と多くいらっしゃいます。
 この悩みを解決し、「わかった」「できた」につながるある工夫を指摘しているのが、阿部利彦(2014)です。阿部氏は、UD化された授業を観察・分析していくうちに、共通した特徴があることを発見しました。(p.40)

つまり、授業UD化のための柱として言われていた「視覚化」「焦点化」「共有化」といった概念をより具体のレベルに置き換える過程で生まれてきた言葉だということなのだろう。

また、学校の先生たちにとって、ある種のロマンというものを尊重しないと市民権を得ないというのは、外から学校現場に関わったりする私のような人間にとってよくよく考えないといけないのかもしれない。

ペアワークやグループの能力差についてのQ&Aでは次のような記述を見た。

大切なことは「だれとでも」関係をつくれることです。良いグループ、悪いグループは、はじめに決まることではなく解散する時に決まることです。良いグループにするために自分はどのように働きかけるのか、この気持ちが大切です。(p.94)

私のようなひねくれものは、「だれとでも」関係をつくれるなんて、そんな無茶な要求をされて子どもたちは可哀想に、なんて思ってしまう訳である。自分が関係したいくつかの職場を見てみるだけでも、「だれとでも」関係を作れている職場なんて見たことがない。なぜ、子どもたちだけがそんな不当にレベルの高い要求をされるのであろうか、と。

心理の立場から教育の場に入るときは、こうした「教員文化」みたいなことを考慮した上で入っていかないのとうまくいかないのかもしれないとか、そんなことを感じた読書であった


【関連する図書・記事】

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授業のユニバーサルデザイン入門 (授業のUD Books)

授業のユニバーサルデザイン入門 (授業のUD Books)

村井・橋本『心理学のためのサンプルサイズ設計入門』

心理学のためのサンプルサイズ設計入門 (KS専門書)

心理学のためのサンプルサイズ設計入門 (KS専門書)

大変勉強になる本だった。

効果量や検定力について一通り勉強していたものの、それらがサンプルサイズを決める観点から整理されていて、そうした知識の復習にもなった。同時に自分がデータをとる際にいかに無頓着な決め方をしていたか反省する点も多かった。

以下、良いと思った点

  • 2017年出版の本ということで、比較的新しい議論に触れている
  • 基礎的な知識の解説の後に、認知、社会、臨床など下位分野での実例紹介が丁寧で参考になる
  • カラーで見やすい
  • Rのコード付きですぐ試せる

心理系の調査をしたい人は買って損はないと思います。

Broader Autism Phenotypeについて

Broader Autism Phenotypeという言葉を知った。

Phenotypeというのは表現型と訳され、遺伝とかの研究の文脈で使われることが多い言葉である。生物に実際に現れる性質や形質のことを指す言葉で、遺伝子型と環境の相互作用によって表現型が決まるとされる。同じ遺伝子型を持っているからといって、表現型が同じだとは限らない。自閉症の文脈で言えば、自閉症に関与していると考えられる遺伝子型を持っていたとしても、表現型として実際に自閉症だと診断されるとは限らないということだろう。

ところで、家族や兄弟研究から自閉症に遺伝的関与があることは知られていて、診断されているかどうかはさておき、診断を受けた人の親族が自閉っぽい特性を持っていることは多い。また、自閉症スペクトラムとするのが最近の研究の流れであるから、診断を受けていない定型発達の人のなかにも、高い自閉的特性を持つ人がいることが知られている。

これらのことを考慮すると、「狭い自閉症表現型」として、診断を受けている群を研究する一方で、高い自閉的な特性を持つ人も含めた群を「広い自閉症表現型」として研究するアイデアが出てくる訳である。Broader Autism Phenotypeを日本語訳しているものが多くないが、「広い自閉症表現型」「幅広い自閉症の表現型」あるいはシンプルに「より広い表現型」と呼ばれているようだ。

【多分BAPという用語が初めて使われた論文】
Broader autism phenotype: evidence from a family history study of multiple-incidence autism families. - PubMed - NCBI

島宗 理『インストラクショナルデザインー教師のためのルールブックー』

インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック

インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック

行動分析学専門とする著者によるインストラクショナルデザインの入門書。一般向けの本のため専門的な話はほとんど出てこないので大変読みやすい。

本書で、インストラクションとは次のように定義される。

インストラクションとは何らかの行動を引き出すための仕掛けである(p.7)

そして、そのインストラクションが成功するためには「デザインが不可欠である(p.8)」という前提にたち、どのようなインストラクションを設計すればうまくいくのかが解説される。

前半は「インストラクションの鉄則<ルール>」ということで、主に行動分析学を中心に積み上げられてきた学習の科学をもとに、うまくいくインストラクションのルールが紹介される。例えば、目標分析や職務分析に基づく標的行動の設定や学び手の学習状況の確認のための多様な評価の方法など、何かを教える立場にある人が持っていて絶対に損をしない知識が書かれている。

後半は「インストラクションのデザイン」ということで、前半で解説されたルールを用いて、具体的にインストラクションをデザインするプロセスが解説される。ステップごとに分けられているので各々の教える内容に合わせて、このステップに沿ってインストラクションを組み立てていけば、成功するインストラクションが完成するという寸法である。

教員や企業等の研修担当など、何かを教えることに関わる人には大変お勧めできる本だと思う。私の関係する分野だと、特別支援教育で個別の指導計画(IEP)作成に関わる人にはとりわけおすすめしたい。目標の設定や評価のあり方など得るものは大変多く、その後のIEPの質の向上につながる考え方を得ることができるだろう。

『パフォーマンス・マネジメント』を読んだときにも思ったけれど、島宗先生の本は理論的な基盤がしっかりしているのに、平易な言葉でサクサクと読めるようになっていてすごいなぁと思う。



【関連】
nekomosyakushimo.hatenablog.com

ABC分析についての話を終えて

先月、ABAの基本的な知識について療育や保育の場で働いている方々を対象に話をする機会をもらった。このネタ自体は以前にもやっていたので2度目だったが、話の後の質問や対象者の問題関心から、次に同じテーマで話すとしたらいくつか補足しないといけないとも感じたので記録に残しておく。

強化子がないと働かないなんてとんでもない問題

ABA対して寄せられるよくある質問。例えば、ベイリー・バーチ(2017)は「もし子どもにトークンや食べ物のご褒美といった行動的な手続きを用いるなら、子どもたちは単に強化子のために働くということになってしまうでしょうか?」との質問に対して以下のように答えている。

行動分析家として働くとき、私たちは行動プログラムの最終目標として、形成した適切な行動が自然な強化子によって維持されることを重視します。私たちが、ポイント、お金、キャンディーや他の物的強化子を使用する理由は、誰かに何かをさせるための唯一の方法が、より大きなご褒美しかない場合があるからです。これらの物的な強化子は、プログラムの初期に使用されます。・・・中略・・・大切なことは、物的強化子を使用すると決めた場合には、ゆくゆくはそれらを自然な強化子へとフェインディングすることを考えたうえで介入計画を立てるべきだということです。(p.146)

また、この問題に対して、スキナー(1990)は次のように言っている。

もちろん、我々は籤を手に人れるためにだけ勉強し続けるような生徒を望んでいるのではありません。学校で身につけた行動はいずれは日々の生活において自然な随伴性によって強化されるようになるべきなのです。日常の自然な随伴性は教育効果があがるような形で教室に持ち込むことは容易ではありません。この点にジョン・デューイの教育哲学における大いなる誤解がありました.我々は実生活のために教育しなければならないのですが、実生活そのものを効果的に学校のなかに持ち込むことはできません,教室内での随伴性はある程度は仕組まれたものにならざるをえませんが、うまく仕組まれたならば生徒が後におかれる日常の自然な随伴性のなかで誰にでも有利に働く行動をうみだすことができましょう。(p.91)

ポイントは自然な強化子や自然な随伴性なのだが、往々にしてこれらを得ることができていないときに、望ましくない行動の過剰や望ましい行動の不足が問題とされるわけである。そうした際に、自然な強化を受けるまでの道のりとして物的な強化子を活用しましょうというのがABAの提案なのだろう。前もってスライドに仕込んでおけば良かったかな。

ABC分析より前段階にやるべき問題の分析

話の内容がABC分析だったので、強化・弱化の仕組みを中心に話すことが多かったのだが、現実的な諸々の問題に対応するためにはその前段階で行う分析もあったほうがよかったのかもしれない。

望ましい行動の不足や望ましくない行動の過剰といった問題が存在する場合に、その原因を「知識」「技能」「遂行(動機づけ)」のどの水準で見るかによって対応策は変わってくる。

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上の図はインストラクショナルデザインを解説した島宗(2004)のp.94に載っているものだが、強化や弱化というオペラント型の条件づけの守備範囲は主に「遂行(動機づけ)」水準の問題の場合だろう(知識の不足を先行条件の操作で補うということもできるけれど)。問題となる事態において、どの水準で解決策を提示するべきか考えた上で、強化や弱化とかの話につなげると、見通しがよくなったのかもしれない。

参考
ベイリー・バーチ『行動分析的“思考法"入門―生活に変化をもたらす科学のススメ
スキナー「罰なき社会
島宗『インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック