猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

梅永雄二 編『自立をかなえる!特別支援教育 ライフスキルトレーニング 実践ブック』

前の記事のライフスキル本の指導事例集。「そもそもライフスキルって何?」という方は、『スタートブック』の方を読んでから読むと良い。

ライフスキルについての指導事例というのはあまり蓄積がなされていない(と思う)ため、こういった本で様々な指導のノウハウが蓄積されていくことは非常に大事なことと思う。執筆者ごとにライフスキルの考え方に多少の違いはありそうな感はあるが、それぞれの実践の場での工夫が数多く紹介されおり楽しく読めた。

さて、本書を読んでいてライフスキルの「指導場面」についてあれこれ考えていた。ライフスキルは、「いつ」「だれが」指導していけば良いのかということだ。

本書の1章で、ライフスキルとは「大人になって日常的に行う活動(p.7)」と書かれている。学校生活の中で日常的に行う活動が大人になっても日常的に行う活動であれば、その指導場面は自然に設定できるだろう。例えば、本書で紹介されている事例の中でも着替えや食事など、特別支援学校でいうところの「日常生活の指導」的な範囲のことは、学校での指導内容がそのままライフスキルとして大人になっても生活に活きると思う。

では、大人になったら必要だが、学校生活の中ではさほど必要ないという活動の場合にはどうだろうか。例えば、お金を使うこと・稼ぐこと・貯めること、というのは学校生活では日常的に行う活動ではない。本書では、お金を使い方のライフスキルを指導するために生活単元学習の時間で学校内に模擬店を作り、お金を稼ぐ・使うなどの場面を擬似的に設定している事例が紹介されている。考え方としては、将来必要になるスキルを指導するために、社会での生活を学校生活の中に再現しようということだろう。

この考え方は特別支援学校では珍しくはない考えだ。多くの(知的の)特別支援学校では、就労のためのハードスキル・ソフトスキルを育成するため「作業学習」の時間を設定していると思うし、高等部などでは、学校内での「校内実習」、実際に職場に入っての「現場実習」という流れを経て就労につなげていく例が多いと思う。将来に必要なスキルを指導するために、指導の場面を作り出しているという点では先のお金の使い方と同じ視点だ。

これらの考え方はとても大事に思うのだが、スキルの中にも学校という場で事前に教えやすい内容とそうでない内容があるような気がする。例えば、ATMを利用すること、公共料金を払うことなどは、もちろん学校生活の中で「練習」はできるだろうが、今必要性がないものをどれだけ動機付け、どれだけ生活の中で意味あるものとして指導ができるのかはちょっとよく分からない。

また、社会生活の中で必要なことというのは多々あり、それらの全てに対して先回りをして学校生活の中に持ち込むのは難しいだろうということ、そして、一人ひとりの自立のあり方によって必要とされるスキル、必要とする支援のあり方は違ってくるだろうから、どこかに限界はあるのではないかということも同時に思う。

大切なのは、必要だから前もって準備しておくという考え方で早期の支援をするのと同時に、必要が生じた際に支援にすぐにつながれる仕組みなんじゃないだろうか。TEACCHは一生涯にわたる総合的なサポートということを言っていたと思うが、スキルを身につけるタイミングというのは何も学校生活の中に限る必要はない訳で、大人になって生活を営んで困ったことが生じた際に、必要とされるスキルを身に付ける手助けをしてくれる人や仕組みがあれば良いのではないかと思う。

さて、そうしたライフスキルの習得を手助けは「いつ」「だれが」してくれるのか。「何かを教える場は学校で、教える人は先生」という考えではきっと上手くいかないんだろう。