猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

佐藤暁『自閉症児の困り感に寄り添う支援』

自閉症児の困り感に寄り添う支援 (学研のヒューマンケアブックス)

自閉症児の困り感に寄り添う支援 (学研のヒューマンケアブックス)

自閉症児・者を理解するための本は世に多くある。それらの本の多くは「認知」や「発達」などいわゆる「科学」の世界で扱われてきた研究の成果をもとに自閉症児・者を理解しようというものである。しかし、この本はそうした「科学」の言葉を使う代わりに、「哲学」の言葉を使って、自閉症児・者の理解をしようとするという点でとてもユニークである。

科学と哲学どちらについても不勉強なため大変自信がないのだが、すごくざっくりと言ってしまえばどちらも「様々な事柄をよりよく理解しようという営み」だと思う。ただ、理解に至る過程や方法論をそれらは別にしているし、理解しようというしている対象によって適・不適というのがあるように思う。

この本の主題は自閉症児の「困り感」である。「困り感」は以下のように定義されている。

「困り感」とは、嫌な思いや苦しい思いをしながらも、それを自分だけではうまく解決できず、どうしてよいか分からない状態にあるときに、本人自身が抱く感覚である。なお、そのような状態にあっても本人にはその感覚が希薄である場合や、また現在は問題が生じていなくても将来そういった状態に陥ることが十分に予想される場合もあるが、本人への教育支援という観点から、これらの場合にも「困り感」があると判断することが望ましい。(p.15)


著者は、この「困り感」を理解するための方法論の一つとして、「生きる形を語り直す」ことが必要だと述べている。多くの自閉症論が使ってきた「認知」、「言語」など心理学のことばを使う代わりに、別のことばを使って自閉症の生きる姿に迫ろうとしている。

この本では、心理学が流布してきた既製のことばで覆われているがゆえに見えづらくなっている、自閉症の子どもの生活世界を探り当て、あらためて別のことばで自閉症を語り直してみようと思う。「なるほど、そういうことばで語りだしてみると、自閉症のことが違って見えてくる」、そう感じたとき、そこにわたしたちの身体をそっと重ね合わせてみると、自閉症の「困り感」が鮮明に見えてくる。(p.21)


「意味の島」「動画ボックスと静止画像」など、この本で出てくる概念はどれも聞き慣れない。しかし、読んでみると「自閉症の生きている世界を理解するにはこの言葉以外にはピタッとくるものはない」と思わせるものばかりである。そして、この本で出てきた概念を道具として、自分の関わる実践の場で自閉症児・者を見てみると、彼ら彼女らがよりよく理解できるのである。

普段は「認知」「行動」など、心理学での研究成果をベースに支援を考える立場である自分にとって、この本が提供する視点は新しい気づきが多く、大変勉強になる読書であった。自閉症児・者を、彼らの立場に立ってよりよく理解したいという人にはぜひ読んでほしい本である。