猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

答申を読む

学習指導要領について、中教審の答申が公表されたのでざっと読んで気になったところだけ抜粋。

幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号):文部科学省


各部間での円滑な接続を図るため、小学部、中学部及び高等部の各部や各段階の内容のつながりを整理し、小学部と中学部、中学部と高等部間や段階間で系統性のある内容を設定することが必要であり、特に、現行では一段階のみで示されている中学部については、新たに第二段階を設けることが適当である。(p.112)

知的障害の中学部の学習内容が1段階で示されているのは「ざっくりだよなー」と前々から思っていたのだが、次の改定で細かくなるらしい。と言っても、知的障害の特別支援学校の場合、結局「合わせた指導」の形で教科の内容が再構成されるケースや、生徒の実態によっては小学部の学習内容に読み替えて教科の内容を扱うケースが多いのでそんなに大きく影響することはないんだろうけど。指導要領の内容が現場での教育活動に影響を及ぼす過程において、教科書の果たしている役割って大きいんだなぁと実感している。


障害の程度や学習状況等の個人差が大きいことを踏まえ、既に当該各部の各教科における段階の目標を達成しているなど、特に必要がある場合には、個別の指導計画に基づき、当該各部に相当する学校段階までの小学校等の学習指導要領の各教科の目標・内容等を参考に指導できるようにすることが適当である。(p.112)

インクルーシブ教育システムとのからみで学びの場の連続性ということが言われるようになっているけれども、これは「知的支援学校→普通小、中、高」への連続性の確保ということなんだろう。今は割りと一方通行な感のある「普通小、中、高→知的支援学校」の逆方向を考えるのはとても大事なことに思う。だけどその場合に、知的障害の支援学校で行われている教育課程の特殊性(合わせた指導等)とどう接続が可能なのかは議論が必要な点だろう。

『障害受容からの自由』(田島明子編著)で渡邊先生が次のようにインタビューに答えていたのを思い出した。

これは制度の問題になりますが、たとえば、中学校で知的障害のクラスに行ったとしても、その子の状態の変化しだいでは一般の高校へ行く道に戻れるようにして欲しいのです。子どもに発達障害知的障害があるときの障害受容の問題として、障害というラベルを子どもに貼るかどうかがスタートになると思います。ゴールでもあるのかもしれません。それを貼り直せるといいですね。本来は貼り直せるはずだと思うのです。ですが、一般の人はそれをもう二度と消えない烙印だと思っています。そのことが悪いと思っているのではなくて、制度的にそうでないようにしてほしいのです。(pp.197-198、斜体は原著だと傍点)


 

アクティブ・ラーニングの視点からの指導方法の見直しについては、子供たちが思考し、判断し、表現していく学びの過程が重要となるが、障害のために思考し、判断し、 表現することへの困難さのある子供たちについても、障害の状態等に留意して、「主体的・対話的で深い学び」を実現することを目指し、これらの困難さに対応しながら、学びの過程の質的改善を行うことが求められる。(p.113-4)

流行りのアクティブ・ラーニングだけれども、「障害の状態等に留意して」の部分をどれだけ具体的に議論できるかが大切だと思う。「実行機能に障害がある児童生徒の思考や判断をどう支援するか」「言語コミュニケーションのやりとりに障害がある場合に対話の成立をどう支援するか」等、一つ一つを考えなければ絵に描いた餅だろう。


発達障害を含めた特別な支援を必要とする子供たちに関する理論及びその指導法について、幼稚園、小・中・高等学校の教員免許状取得のための教職課程において独立した科目として位置付ける。(p.115)

教育心理学」の中の数コマだったのが格上げ。とても良いことに思う。ぜひ、「発達障害そのものへの理解→発達障害者への支援一般→各教科内における指導内容に応じた具体的な支援」とつながっていくと中・高でも支援教育が豊かになっていくだろう。