猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

小貫悟・桂聖『授業のユニバーサルデザイン入門』

授業のユニバーサルデザイン入門 (授業のUD Books)

授業のユニバーサルデザイン入門 (授業のUD Books)

仕事の都合で読んだ。

以前紹介したUDL(学びのユニバーサルデザイン)とは別物である。こっちは授業UDとか略されたりする。
nekomosyakushimo.hatenablog.com


二部形式になっており、前半部分は授業UDの基礎編ということで小貫先生による解説が、後半は国語科教育における実践ということで桂先生による授業の様子が収められている。

読んですぐの頃は、前半部分の記述の細かい部分(例えば三項随伴性の説明とか、刺激量の調節の論の進め方とか)が気になっていたが1週間ぐらいすると「専門家に向けた本でもないし別にいいか」となぜか穏やかな気持ちになってきたので、もうすこし大雑把なレベルでの感想を書く。

読んでいて、授業UDは学校教育の枠組みにうまくはまるように特別支援教育を位置付けたなぁということをまず思った。というのも、学校というのは今も昔も授業というのもを一つのベースに動いていて、日課表にしても教員の研究にしても授業という枠組みで行われることが多い。初任者の研修みたいなものを見ても、初任者は年度の終わり付近に研究授業をやる自治体が多いのではないだろうか。

そんな授業ベースで動いている学校という組織において、特別支援教育が位置づくためには授業の枠組みと無関係に支援の手立てが蓄積されるよりも、日々の教員の主たる業務である授業の仕組みの中に組み込んだ方が、学校内で取り組みの支持を得やすいだろう。そういう意味で授業UDというのはうまくやったんだなという印象が強い。なんか名前もキャッチーですし。

この点は、UDLとは対照的だとも思う。あれはどちらかという既存の「授業」という枠組みを解体する方向性を持っているように感じるし、多くの通常級の先生にとって取り入れるためには、日々の授業の根本となる考え方を大きく変えないといけないものに思う。通常級の先生にはウケはそこまで良くないのではないだろうか(私個人としては、授業とか学級とかいう単位を解体した方が良いと普段から思っているので結構好きなんですけど)。

特別支援教育士の研修を受けていたときも思ったけれど、特別支援教育はあくまで個の支援に関する知見はたくさん蓄積してきたけれども、集団へ向けた支援というのはまだまだこれから考えていかなければならないのではないかと思う。そうした意味で、本書の中でも繰り返し述べられているが、特別支援教育と教科教育の架け橋として授業UDというのは機能する可能性がある。授業研究の枠組みにのるということは、教科教育との接続がしやすくなるように思うからだ。

読みながら研修で昔「特別支援教育ではなくて支援教育という言葉になればいい」という話を聞いたのを思い出した(記憶が定かではないが確か筑波大附属の大塚特別支援学校の安部(あんべ)先生の話だったと思う)。通常学校の先生たちの日々の授業の研究の中に特別な支援が組み入れられることで、支援というものが「特別な人」が受けるものではなくなっていくのかもしれない。そうすると、みんなが学びやすい学校というものに少しは近づくでのはないかと、そんなことを思った。