猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。ブログ名にあまり意味はありません。

前川久男・梅永雄二・中山健編『発達障害の理解と支援のためのアセスメント』

発達障害の理解と支援のためのアセスメント

発達障害の理解と支援のためのアセスメント

目次を見て、発達障害支援の界隈で使われている様々なアセスメントの概要をさらっと紹介している本かな、と思い軽い気持ちで読み始めたのだが、前川による第1章「発達障害アセスメントとその目的」を読み、軽い気持ちで読み進めるなんて到底無理だったということを思い知る。大変難しいのだけど(わたしに前提とする知識が足りないからかもしれないけど)、同時にかなり刺激的で面白い。自分の持つアセスメント観に大変影響を与えるものであったと思う。

以下では、前川論文の簡単なまとめと読んで考えたことを書く。


この論文では、ヴィゴツキーとルリアの考え方をもとにアセスメントとその目的を論じている。5つの節から成っており、それぞれの見出しは以下の通りである。

  1. ヴィゴツキーとルリアからアセスメントを考える
  2. 機能システムとしての分析
  3. アセスメントから支援、指導へ
  4. プランニング(実行機能)の発達と支援
  5. おわりに

ヴィゴツキーは、アセスメントにおいて感情、知覚、行為の統一体として意味(senses)を分析する必要性を説いている。それぞれの要素から人間の活動を捉えることだけでは不十分で、それらの意味という全体の統一として捉えることが重要であると考えている。

ルリアは、精神機能を、特定の脳領域の役割として捉えるのではなく、文化的手段の獲得によって発達する複雑な機能システムであると論じている。この構造は「課題や条件に応じて遂行の仕方を調節できるフィードバックメカニズムによって相互に結び付けられた一連の遠心性のインパルスと求心性のインパルスからなっている。(p.5)」

ヴィゴツキーとルリアのどちらも、高次精神機能を考える際にその構成要素を独立したものとして捉えるのではなく、それらの要素同士の全体としての統一や協働を重視している。この考え方は、臨床心理学的アセスメントの目標を「目的を達成しようとする人間の活動を支えている機能システムを分析すること(p.6)」へと導く。多様な要素のダイナミックな関連を想定しつつ、機能システムの状態を説明することができる仮説を導くことが、ヴィゴツキーとルリアから考えるアセスメントの役割である。


以下は自分の関心に寄せて考えたこと。

論文の中で、ヴィゴツキーとルリアによる高次精神機能の発達は次のように説明されている。高次精神機能の発達は文化的手段の獲得に依存している。この文化的手段は社会的な相互作用が行われる実践の場で獲得されるものと考えられている。また、文化的手段は初めは相互心理学的な過程の中で外的なものとして使用され、その後内化される形で獲得されていると考えられている。

さて、自閉スペクトラム症がある場合には、この文化的手段の獲得に失敗していることが少なくない。言葉や道具の社会−文化的な意味の獲得あたりはその代表的なものだろう。これは自閉スペクトラム症の人の、対人的相互交渉の質的な障害が影響を及ぼしていると考えて差し支えないだろう。自閉スペクトラム症の人も生まれてから、ずっと社会−文化的な環境の中に身を置き、おそらく大人やより進んだ子どもが彼ら・彼女らに関わってきているはずだが、発達の最近接領域で機能してこなかったという訳である。

では、自閉スペクトラム症の人との社会的な相互作用がいかにして成立するかというのが、高次精神機能の発達を考える際に重要なのだろう。PECSを使うと発語が促進されるみたいな話があるのは、ここらへんに関係しているのではないかと思う。意味のある相互交渉が文化的手段の獲得にどう影響を与えるのかというのは今後も考えていきたいテーマである。絵カードという文化的手段はどのように内化されるのか、それは音声言語と違っているのか、などなど。

また、テンプル・グランディンさんのような高機能で成功している人の高次精神機能が定型発達の人のそれとどう違っているか、というのも考えるべきなのかもしれない。というのも、発達の最近接領域を考えるにあたって、定型発達の人のようには発達しないが、違った形には発達していく可能性が考えられるからである。もしそうなのであれば、発達の最近接領域において果たす大人の役割というのも変わってくるはずだからである。


とりあえず、ヴィゴツキー、ルリア、DN-CAS、神経心理学関係をもう少し勉強したら、また考えてみたい。