猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

坂上裕子ほか『問いからはじめる発達心理学』

読んだ。自分が心理学周辺の知識を知らなすぎて困ってしまうのでコツコツと学んでいる。

有斐閣ストゥディアというシリーズは認知心理学のときにも買ってみて良かったので今回も買ってみた。当該分野の面白さや魅力を伝えるよう意識しているのか堅苦しくない感じが良い。もちろん個別の領域を深めるためにはより専門なものに進んでいく必要があるとはいえ、きっかけづくりとしてはこの程度ボリューム感が丁度よいと感じた。欲を言えば、ブックリストみたいなものが章末についていると良かったかな。

内容としては、わたしが実験系心理学に関心があるので、乳幼児の理解を確認する方法(選考注視法や馴化-脱馴化法など)やそれを用いた有名な実験についてが印象に残っている。

また、発達心理学と聞いて子どもの発達が中心的な内容だろうと(勝手に)想定していたが、生涯発達という観点から老年期まで射程に入っていて勉強になることが多かった。

発達心理学に入門したいという方には初めの一冊にどうぞ。

Spearman(1904)のメモ

"General Intelligence," Objectively Determined and Measured on JSTOR

長い。90ページもあるのはやめてほしい。

全ての知的活動の根底にあるg因子を発見したということで知能の二因子論の始まりとなる論文なわけだが、この時点ではまだg因子という言葉は使っていない。結論部では次のような書き方をしている。

The above and other analogous observed facts indicate that all branches of intellectual activity have in common one fundamental function (or group of functions), whereas the remaining or specific elements of the activity seem in every case to be wholly different from that in all the other. (p.284)

ASDと心の理論と

先日の記事で「心の理論」のチンパンジーを対象とした元論文について書いた。

nekomosyakushimo.hatenablog.com

書いている中で、そういえば私はバロンコーエンのオリジナルも読んだことが無かったことに気がついたのでそれにも目を通してみることにした。

Does the autistic child have a “theory of mind” ? - ScienceDirect

10ページもない短さがとても良い。やっていることは至ってシンプルで、定型発達、ダウン症ASDの3群に対して誤信念課題を実施してその通過率の差を検討しているだけ。検定もカイ二乗検定および、偶然かどうかを確かめる二項検定しか出てきませんし。

誤信念課題とは、他者が「誤って思っている」状態(誤信念)を適切に推論できるかを見るもので、サリーとアンの課題が有名である。ググればたくさん出てくる。日常生活で使うところの、「あるものを価値づけて信じこむ」みたいな「信念」とは用法が違うので注意が必要である。

結果をかいつまんで書くと、まず名称の質問(naming question)については全ての実験参加者が通過した。事実の質問(reality question)および記憶の質問(memory question)についても一人を除き全ての実験参加者が通過している。つまり、参加者はどっちがサリーでどっちがアンかを区別しており、今現在実際にマーブルがある場所および、最初にマーブルがあった場所についての理解は正確であるということだ。

しかし、「サリーがどこを探すと思うか」の信念の質問(belief question)については、定型発達群・ダウン症群がそれぞれ85%/86%と通過する一方で、ASD群は20%しか通過することができなかった。このことから、ASD児は自身の知識の状態と他者の知識の状態の差を分けて評価する能力が障害を受けている可能性が示された。そして、より重度の知的障害を伴っていたダウン症が誤信念課題を通過できていた一方で、通過できないASD児が多かったことから、この障害は一般的な知的能力の低さには還元できない独立したものである可能性が示された。

ちなみに、共著者にフリスが入っているが、バロンコーエンの指導教官であったということを、関連した調べ物をする中で始めて知った。色々な研究者を輩出している研究室なんですね。

チンパンジーと心の理論と

ASD児者が心の理論に障害を持っているという仮説は、イギリスのバロンコーエンが最初に提唱したものである。少し詳しい人であれば、この心の理論というのは最初は、霊長類研究者であるプレマックとウッドルフがチンパンジーについて検討したものだということも知っているであろう。「チンパンジーは心の理論を持つのか(Does the chimpanzee have a theory of mind?)」という題でThe Behavioral and Brain Sciences に掲載された論文はとても有名である。

Does the chimpanzee have a theory of mind? | Behavioral and Brain Sciences | Cambridge Core

私は論文の名前は知っていたのだが、実際にプレマックとウッドルフがどのようにしてこの命題を検討したかについては知らなかったので抄録と中身を少し読んでみた。

この実験では、サラというチンパンジーに対して、人間の役者が困っているシーンを撮影したビデオテープを見せたようだ。そのシーンは、食べ物を取ることができなくて困っているような単純なものと、(役者が)鍵のかかったケージから抜け出せなかったり、動かないヒーターを前に寒がっているシーンだったりとやや複雑な問題場面のものである。

ビデオテープの最後の部分で映像を止め、その問題を解決できるもの(例えば、ケージを開けるための鍵など)を含む選択肢を写真で提示し正しいものを選ぶことができるかが記録された。最初の試行では、選択肢には全然関係ないものを含めて提示を行い、続く試行ではより微妙な差の選択肢(例えば、そのままの鍵、ねじれた鍵、壊れた鍵)が提示された。

最初の選択肢の系列では、サラは一度も間違うことなく写真を選ぶことができたようである。続く差がより微妙な選択肢の系列でも、サラは12回の選択中1回しか間違わなかったようであり、このことは単純な問題と道具を物理的にマッチングさせているだけでなく、役者の意図や目的を推論して行動していることの根拠とされたようである。

この他にも論文では、サラが好きな飼育員とあまり好きでない飼育員を役者にした場合などより詳細に検討を行っているが、詳しく知りたい方は元論文にあたられると良いだろう。

心の理論というと、サリーとアンなどの誤信念課題で考えるものという程度の理解しかなかったので、チンパンジー相手にどのように測定するのかは大変興味深かった。

3つ組はセットで考えるべきか

link.springer.com

ASDを考えるときに有名な三つ組(triad)というものがある。これは、社会性、コミュニケーション、想像力の3つの症状からASDを考えましょうと、イギリスの児童精神科医のウィングが提唱したものである。

この三つ組を考えるとき、これらが単一の共通のメカニズムから出てきたものか、別々のメカニズムから現れてきたものかは冒頭のハッペとロナルドの論文以来、議論になってきたようだ。2014年にはAutismにおいてこれをテーマに特集号も組まれている。巻頭の編集者のコメントはアクセスがフリーでだれでも読める。

http://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/1362361313513523


ハッペらの論文では、双子研究のデータと関連論文のレビューを通して、三つ組はそれぞれが大部分独立した遺伝子によって現れる症状であるとの仮説を提案している。そして、そうした前提に立って進めていく研究を"the fractionable autism triad approach"と称し、新たな問いや理論的/実践的意義につながる可能性を論じている。

"fractionable autism triad"は日本語で紹介しているものはざっと調べたところなさそうだが、fractionが断片や破片とかの意味なので、「断片化可能な自閉症の三つ組」あるいはもう少し簡単に「分解可能な自閉症の三つ組」とでも言っておくべきだろうか。

この研究とは直接的に関係ないが、弱い中枢性統合仮説の最初期は心の理論障害の原因となるメカニズムだと想定してリサーチを進めていたのが、社会的な情報処理、非社会的な情報処理は別のメカニズムであると主張を変えるようになった歴史がある。

nekomosyakushimo.hatenablog.com

そんなことを考えながら、単一のシンプルな機構で捉えられない障害像の多様性というのがASD研究の持つ難しさなのかもしれないと再認識をした。そしてそれはDSM-Vでスペクトラムという範疇を採択したことにより、白か黒かのカテゴリーの話から濃淡の話になったのでよりモデルの構築に工夫が求められることを意味しているのかもしれないということを思った。

女性のASD当事者の障害を見えにくくする要因

自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか:障害を見えにくくする要因と適応過程に焦点を当てて

読んだ。女性ASD当事者へのインタビューをもとに、ASDの障害を見えにくくする社会環境的要因を明らかにし、その中で当事者がどのように生きてきたのかについて検討した論文。

ふるまいの上では適応的に見えても内面では苦しんでいるケースなど、「語り」のデータならではの示唆がある。

ASDの女性は,女性として生きるライフサイクルの中で,社会的な期待と,ASD 特性による難しさの中で,適応の努力と失敗を繰り返す ことで,表面的には社会に適応しているように見えるよ うなスキルを学習するものの,失敗経験と自己否定的な原因帰属の積み重ねによって【自尊心の低下】が起こっていることが明らかとなった。そのため,ASDの女性 は外からは社会的なスキルが高く適応しているように見えても,心理的な健康度はそれほど高くなく,内面的な 支援が求められていることが示唆された。(p.95)

臨床的な示唆として、学校段階で「大人し くて目立たない子どもを見逃さない(p.96)」ことの重要性が挙げられている。教育現場で特別支援に関わる人はこのことを意識をして行動観察をしたり、担任やカウンセラーとの面談などの情報まで意識的に守備範囲を広げると良いのかもしれない。

猫も杓子も今年の3冊【2017年】

昨年、一昨年とやっているので今年も良かった本の紹介を。

【昨年までの記事】
猫も杓子も今年の3冊【2016年】 - 猫も杓子も構造化
猫も杓子も今年の3冊【2015年】 - 猫も杓子も構造化


今年は自分の身分的なところにそれなりの変化があり、本を読む時間は昨年より大幅にあった・・・はずなのだけれども、調べ物の最中で読んだり、必要な部分だけを読むような細切れの読書をしていた感が強くて1冊の書物として読んだ!という感じがまるでしない。そんな、読書経験としては貧弱な1年だったけれどもその中でコレはと思ったものを。

自閉症関係

自閉症の現象学

自閉症の現象学

今年自分が読んだ本の中で一番インパクトが強かったのはこれでしょうか。自閉症の理解の枠組みとして哲学を援用するというのは、今までにもないことはないのだけれども、この本はそういう本とも少し違っている。自閉症の経験世界を現象学というアプローチで描き出すことを通じて、現象学を含む既存の哲学や人間理解の在り方を組み換えようとする。そういう意味で大変に野心的な本だと思う。「はじめに」から少し抜き出してみよう。

自閉症は、哲学における既存の前提を全面的に組み替えることを要求する。自閉症は西欧哲学が考えることのなかった人間経験の地平を提示している。そもそも人間の経験の構造は一つには固定できないのだ。自閉症は人間の可能性の地平を拡げる。あるいは自閉症に照らされることで哲学も相貌を新たにすることになる。(p. v)

自分自身が咀嚼できているかといわれると自信は全くないのだけれども、とにかく読み応えのありパワーのある本だった。今後も時間をかけて消化していきたい。

心理学関係

これを読んでいたのは昨年の大晦日なので正確には昨年の読書なのだけれども紹介する機会がなかったので今回に合わせて。神経心理学の立場から、高次脳機能障害の解説およびそのリハビリテーションを紹介している。この本は、高次脳機能障害やそのリハビリについての入門およびレファレンスとしても役に立つのだが、それ以上に、神経心理学を他の心理学との関係性の中で論じた1章「心理学的方法論」や、障害を治療することの意味についての哲学的な考察である2章「「障害」と「治療」の意味」がとても勉強になる。障害およびリハビリテーションの意味を、「自由性の障害」というアイデアと関連付けながら、治療の根源的な意味を問う2章の論考は、リハビリテーションや障害者支援に関わる人間が真摯に向き合わなければならないテーマであり、考えさせられることのとても多い読書だった。

統計関係

「みどりぼん」の愛称で親しまれている。この本の主張をすごく大雑把に言ってしまえば、説明のためのモデルを組みたてる際に、モデルに合うようにデータの側を加工するのではなく、データに合うようにモデルの組み立て方を適切に選択しましょうということだと思う。心理学を中心に統計をかじってきた身としては、基本的に誤差が正規分布する世界(いわゆる一般線形モデル)で生きてきた訳で、その世界を相対化して一般化線形モデルまで拡張することができて大分見通しが良くなったように思う。現状の「有意差」の扱われ方などを批判的にとらえつつ脚注にちょいちょい挟んでくるスタイルが結構好みである。
 基本的にはコードは全てRで動かすのでRについての入門をしてから読むと良いでしょう。