Processingをやろう
急に謎のモチベーションが出て手を出してみる。ダウンロードは公式から。zipを展開するだけ。簡単。
ダウンロードができたら次のサイトを参照にしながらいじってみる。
画面はこんな感じ。真ん中にコードを書いて再生ボタンで実行。環境設定とか面倒がなくてお手軽に使い始められる。
見よう見まねでぽちぽちとやってみる。直感でやってもある程度いけるし、文法エラーをリアルタイムで教えてくれるので、それに従っているとそれなりに動く。
そんな感じで作ってみたデルブーフ錯視がこちら。
書いたコードはこんな感じ。
void setup(){ size(600, 400); background(255); } void draw(){ fill(0, 0, 0); stroke(0, 0, 0); strokeWeight(2); ellipse(170, 200, 90, 90); ellipse(430, 200, 90, 90); noFill(); ellipse(170, 200, 200, 200); ellipse(430, 200, 110, 110); }
お手軽なお絵かき目的には使いやすいと思う。
田中康雄『ADHDの明日に向かって』
ADHDの明日に向かって―認めあい・支えあい・赦しあうネットワークをめざして
- 作者: 田中康雄
- 出版社/メーカー: 星和書店
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: 単行本
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とあるお医者さんからの紹介で知った本。副題に「認めあい・支えあい・赦しあうネットワークをめざして」とある。著者はADHDを支え合うネットワークづくりを現場で実直に行ってきた医師である。具体的な経験に基づく知見が書かれており、今現在学校の外から特別支援教育に関わる身として大変勉強になるものがあった。
大きく2部の構成に分かれている。1部はADHD児がどのような問題にぶつかるか、ADHDの歴史、臨床像や原因、疫学情報などの基本的な事柄が紹介されている。2001年が初版であるので、やや情報は古い部分があるが、実際の子どもの姿を描写しながら説明がなされるので非常に読みやすい。
2部は、支援を行うためのネットワークをどのように作るかが紹介される。連携における具体的な流れとそのコツや失敗談など、実際にネットワーク作りに苦心してきた著者にしか書けない内容だと思う。具体的な支援について関心がある人にとって有益な情報も多々載っているが、具体的な支援を分担して行う支援体制を作ることなどに関わる人にとって特に有益な情報が載っているだろう。
筆記具の持ち方について
小学生の低学年では、「用具を正しく持つ」という内容が学習指導要領に明示されており、鉛筆の持ち方を指導する姿はどこの学校でも見られる。もちろん、その指導の丁寧さであったり力の入れ方は担任の先生のさじ加減であり、いくつもの学級を見ているとその差が見れて面白い。
ところで、正しい持ち方というのがどのような根拠に基づいているのか知らなかったので調べてみた。次の論文が丁寧にまとめている。
「望ましい筆記具の持ち方とその合理性および検証方法について」
この論文では、「望ましい筆記具の持ち方」という概念を提案しながら、それら以外の持ち方は一体どういう問題に繋がるかを示している。大変勉強になる。
学級を見ていると、顔をノートに近づけすぎる児童がいて先生は顔をあげるように促す場面はよく見る。では児童がなぜ体を前傾させてしまうのか。その原因について考えを巡らす先生は多くないように感じる。
先に紹介した論文を読むと、持ち方によっては筆記具の先端が視線から隠れてしまい、筆記具の先端を確認するための対処の一つとして体の前傾による対応を行っていることなどが分かる。対処療法として頭を机から離すように言葉をかける代わりに、筆記具の先端が自然な姿勢で見えるよう持ち方の獲得が根本的な解決につながるだろう。
その他にも、児童の誤った書きの姿がなぜ生まれるのかについて、その原因が推測できるようになるので大変オススメできる論文である。
シェムとシェマについて
発達心理学について勉強するとシェマという言葉を必ず学ぶ。ところが、最近ピアジェについて勉強し直す中で、ピアジェはシェム(Schéme)という用語とシェマ(Schéma)という用語を厳密に使い分けていることを知った。英米の研究者がピアジェを英訳する際にそれらをごっちゃにしてしまったため、英語圏のピアジェ理解をベースに日本に輸入されたピアジェ理論においてもシェマの一つの訳語が定借してしまったようだ。
次の本は、ピアジェ自身によるピアジェ理論の解説の翻訳なのだが、それをもとに2つの違いについて書いてみる。
- 作者: J.ピアジェ,Jean Piaget,中垣啓
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 単行本
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この2つの違いは、記憶の発達についての説で言及されている。1つは記憶を過去の認識という側面に注目したときのもので、そうした際に用いられるのがシェムである。表象的知能においては「概念」を用いて思考するが、感覚運動的知能段階においても周りの環境を理解しようとする心理的な構造があるはずだとピアジェは考え、これを「(行為の)シェム」と呼んだのである。たとえば、ものをつかむという行為は物の大小や軽重によって物理的には違った行為となるが、心理的には等価な行為として存在すると考えられ、この場合は「把握のシェム」と呼ばれる。(p.19に詳しく解説されている)
他方、記憶の抽象的な性質でなく、特定の具体的な事物や事象を対象とした側面に注目することもできる。その場合に記憶はある種の図式的なイメージとしての性質を帯びることとなり、現実をあくまで表示しようとする試みとなる。これはさきのシェムとは全く違った働きであるため、この図式的な側面を指示する用語としてピアジェは「シェマ」と使い分けた。(p.16に詳しく解説されている)
やや長いがピアジェ自身の言葉も引用してみよう。
記憶は非常に異なった2つの側面をもっている。一面では, 記憶は過去の認識という意味で認識であり, したがって知能の「シェム」を利用している。(...)他面では, 記憶は抽象的な認識ではなくて, 特定の具体的事物や事象を対象としている。このため, 心像とりわけ「記憶的イメージ」(memory images)のような象徴が記憶のはたらきに必要である。ところで, イメージ自身も図式化(schematized)されているが, それはシェムとはまったく異なった意味においてである。というのは, イメージはいかに概略的(schematic)であっても, それ自体はシェム(schemes)ではないからである。イメージの図式性を指示するために「シェマ」(schema, 複数形はschemata)という用語を使おう(...)。シェマは単純化されたイメージ(たとえば, 町の地図)であるのに対し, シェムは行為において繰り返され一般化されうるものをさす(たとえば, 棒やその他の道具で物を「押す」とき, 「押しのシェム」というのは押すという行為に共通するところのものである)。(p.108)
この本は、大変勉強になる。
認知の発達段階とピアジェについて
ピアジェについて調べ物をしている。自分にとってのピアジェは太田ステージによる認知発達治療に理論的基礎を与えている人で、『自閉症療育の宝石箱』や『自閉症治療の到達点』で得た理解がベースであった。
- 作者: 永井洋子,太田昌孝
- 出版社/メーカー: 日本文化科学社
- 発売日: 2011/10/03
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 34回
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- 作者: 太田昌孝永井洋子武藤直子
- 出版社/メーカー: 日本文化科学社
- 発売日: 2015/10/25
- メディア: 単行本
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訳あってちゃんと学ぶ必要ができたので次の論文を読んだのだが大変勉強になった。(全然理解できない部分も多々あったが)
印象に残っている部分のメモを残す。
発達の連続性・不連続性をどう捉えるか
発達を捉える時に、量的な連続性のあるものとして捉えるか、質的な不連続なものとして捉えるかは一つのトピックである。たとえば、ウェクスラー系の知能検査では、簡単な問題から難しい問題まで並んでおり、たくさん正答できるとたくさん点数を獲得できる。30点以上で〇〇段階のような区切りがある訳でなく、認知機能を数量化された連続性のあるものとして捉えている。このような見方は典型的な連続性を強調した捉え方である。
これに対して、ピアジェの発達段階は、発達を質的に異なる4つの段階に区切っている訳だから、一見すると典型的な不連続的に捉える見方に思える。しかし、ピアジェの発達段階は前段階で獲得したものを分化・統合したものであるため、この点から言えば連続性を強調したものである。
したがって、「ピアジェの発達観は発達の速続説でも不連続説でもなく,両者の対立を止揚した弁証法的発達観(p.376)」ということになる。
ピアジェは認知発達は知能一般や認知機能全体のものでない
著者によれば、ピアジェの発達段階は、認知機能全体を対象としたものでなく、「知的操作」に限定したものであるようだ。知的操作とは、対象についての対応変換行為である。対応変換行為とは対象を分けたり、まとめたり、並べたり、対応づけたりといった主体の働きかけであり、これが、将来的には、論理数学的認識として結晶化してくとのことである。
認知機能には、知的操作以外にも記憶や言語能力など様々な能力がある。WISCやK-ABCみたいな検査を想像してもらえば、自明のことだろう。
ピアジェが唱える発達段階は、あくまで知的操作という認知の働きに限定された理論である。そういった点では、認知機能の領域固有の知識と言うことができるが、知的操作は認識活動の一般的な形式であるため、様々な認識活動の基礎にあるという点をみれば、領域普遍的な性質も有している。やはり「ピアジェの発達観は認知発達の領域固有性と領域普遍性の対立を止揚した弁証法的発達観(p.376)」を有している。
未だに咀嚼できていない部分も多々あるので、もう少し全体的にピアジェを学んだらまたこの論文に戻ってきたい。
体罰に関して
体罰に関してあれこれ話をする機会があった。今でこそ表立った(?)体罰というのは教育現場で少なくなっているのだろうが、一部の運動部であったり、言葉のない知的に重い障害児教育の現場などでは、体罰の効果を信じている人を見たりもする。
体罰に関して、日本行動分析学会が2014年に反対する声明を出している。
科学の見地から体罰の効果が無いことや、体罰を用いることの副作用について紹介され、学会として体罰に明確に反対することが述べられている。社会における科学者の責務を果たすということで重要な声明だと思う。学校に関わらず教育や指導というものに関わる人にはぜひ一度読んでほしいと思う内容である。
ちなみに、正の弱化(正の罰)について、より学術的な議論については吉野の以下の論考が役立つだろう。
弱化の持つ直接的な効果と副次的効果について今までの研究成果がまとめられており大変参考になる。
自閉症の遺伝的関与に関する初期の研究
今では自閉スペクトラム症に遺伝子が関与していることはよく知られているが、下記リンクはその初期における重要な研究。少なくとも片方が自閉症の診断を受けている幼児期の21組の双子が研究の対象となった。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1469-7610.1977.tb00443.x
11組が一卵性(monozygotic:MZ)で10組が二卵性(dizygotic:DZ)であった。一卵性双生児の36%が自閉症の一致率があった一方で(つまり、4組が双子ともに自閉症)、二卵性双生児では0%の一致率であった。認知能力の異常に関しては、一卵性が82%の一致率である一方で二卵性では10%に止まった。 このことから、自閉症に限定はしないもの自閉症を含む認知的な異常について遺伝的影響が結論づけられている。
この研究がその後の自閉症と遺伝の多くの研究のきっかけとなったようである。