猫も杓子も構造化

発達障害、特別支援などについて書いています。最近は心理学関係の内容が多めです。

杉山尚子『行動分析学入門ーヒトの行動の思いがけない理由』

行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)

行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)

行動分析学についての初学者向けの入門書。短い新書ではあるが、身近な具体例を題材にして行動分析学の基本的な考え方を丁寧に解説している。著者がまえがきにて、「本書が狙ったのは、行動分析学が人間の問題を扱う時の<核>となる考え方を伝えることである(p.4)」と書くように、本書の最大の特徴は、行動分析学で行われていることを単に紹介するのでなく、その前提となる考え方(や思想)に焦点をあてている点だと思う。なので、本書は確かに入門書ではあるのだが、こころを研究する方法論やスキナーの言語行動論への言及など、本書を読み進めていると入門書を超えたレベルの深い考察が急に飛び出してくるため、退屈することなく非常に楽しんで読むことができた。行動分析が初めての人、概ね基本的なことは理解している人どちらにもオススメである。

以下、読みながら思ったこと。

用語について

この本では強化子を好子、弱化子を嫌子と言っていてそれも「おっ」と思うのだが、それ以上に「正の強化」のことを「好子出現の強化」と言っているのが分かりやすくて良いと思う。「正の強化」とか「負の弱化」とかだと、いつも「あれ、これどっちだっけ」となるので、自分自身では「正の」を「提示の」と、「負の」を「撤去の」と勝手に言い換えて使っていたのだが、同じような用語法を専門家の方が使っていてお墨付きをもらったかのような気分に勝手になっていた。ただ、これだと多少クドいような気がするも、分かりやすさとのトレードオフだよなぁとも思う。

嫌子の出現による弱化(正の弱化)について

p.71で、赤信号で人が歩道を渡らないのは、車に轢かれるという嫌子の出現によって、歩道を渡ることが弱化されているからだという説明が出てくる。自分のことを考えてみると、自分は一度も轢かれたことがないのに赤信号を渡っていない。行動分析的にいうと、嫌子による弱化を受けたことがないにも関わらず、行動が弱化されているということになる(矛盾しているような言い回しな気もするが)。これは、バンデューラが言うところの観察学習が生じており、つまり、他者の行動に対して嫌子が出現するのを、メディアや伝聞などを通じて学習して、自分の行動にも適用しているという解釈で良いのだろうか。こういうことを考え始めると、他者を観察することによる行動変容って結構大切なテーマなような気がするけど、ABAの本だとあまり触れられていない気がする(自分の読んだ範囲では)。ちょっと勉強不足でよく分からないのでもし間違っていたら、識者の方はコメント欄で教えてください。

因果関係と実験について

スキナーが実験をなぜ重視したのかという点について、この本では行動分析学は行動の原因を明らかにすること(およびそれを用いた行動の制御)を目的とする科学で、原因と結果の因果関係は実験を通じてでしか明らかにできないからだということが書かれている(p.135-136)。が、ここの説明だけだといまいちピンとこなかったので科学哲学の入門書(戸田山, 2005)で得た知識をもとに自分なりにを考えてみる。

サモンという科学哲学者は、科学における説明のモデルとして、原因を突き止めることを目的とする「因果メカニズムモデル」を提唱している。このモデルは2段構えで、まず被説明項となる出来事を統計的関連性のネットワークにおき、次にそれを因果関係で説明するという手順をとる。1つ目の段階で行うことは、統計的に関連性のある出来事をリストアップすることであり、2つ目の段階では、そうしてリストアップされた出来事に操作や変更を加えて、被説明項になっている出来事への影響を見るのである(この方法はスクリーニング・オフと呼ばれる)。仮に、リストアップされた出来事が撤去されたうえで、被説明項となっている出来事が起こらなくなった場合、撤去した出来事が原因であることが証明されるという寸法である。

行動分析風の例として、急に興奮して暴れだす太郎くんの行動を考えてみる。太郎君の興奮して暴れだす行動が被説明項である。この原因を明らかにするためには、まず被説明項(太郎くんの暴れる行動)に関連するデータをとる。その結果、どうやら太郎くんは休み時間に暴れだすことが多くあり、それに対して教員は太郎君を宥めるために、特別にジュースを与えていたことが分かった。言い換えれば、太郎くんの暴れるという行動が起きるたびに、太郎君がジュースを手にするという統計的に関連性のありそうな出来事がリストアップされたわけである。次の段階は、ジュースを得ることが行動の原因になっているかを確かめるスクリーニング・オフの手続きである。そこで、ジュースを得るという出来事に操作を加え、ジュースを与えないような条件にして、行動が起きるかどうかを見るのである。ジュースを得られないようにした結果、行動が止むのであれば、それはジュースを得ることが暴れだす行動の原因と説明できるだろう。

ここで肝心なのは、「因果メカニズムモデル」というのが因果関係を明らかにするための手段として、この世で起きている出来事に変更や操作を加える営みを含むということである。従って、説明項が操作可能かどうか(応用行動分析の用語を借りれば制御変数かどうか)というのは行動分析学においてとても重要である。なぜなら、説明項に変更を加えることができなければ、相関関係は分かったとしても因果関係にたどり着くことはできないからだ。実験というプロセスは、行動分析学が、行動の原因を明らかにすることを目標とした「科学」になるために必須の条件であったのだろう。


【参考文献】
戸田山和久(2005)『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる』日本放送出版協会